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歴史を振り返るサガン鳥栖

歴史を振り返る~サガン鳥栖これまでの経緯~

1997年1月
 前チーム鳥栖フューチャーズ(当時JFL)は、Jリーグ入りを急ぎ、巨額の赤字を計上。バブル崩壊後低迷する日本経済に実質親会社のPJMジャパンが経営不振のため日本から撤退。鳥栖フューチャーズはチーム解散という最悪の事態となった。

1997年2月
 1月の解散に際して5万人がチーム存続を願い、※任意団体設立とその運営計画が、Jリーグに超法規的措置(当時川淵Jチェアマン)として了承され、サガン鳥栖が誕生、あらためてJFLに参入した。
 任意団体の設立は、佐賀県サッカー協会関係者と鳥栖フューチャーズ誘致関係者によるもの。クラブ組織を設立し運営を行った。
 ・収入以上の支出はしない ・集まったお金の範囲でやっていく ・身の丈にあった経営 ・すぐにJは目指さない ・九州のサッカー選手の登竜門に という過去の反省に基づいたコンセプトで始まった。しかしのちにこれが「市場育成・拡大の為の投資を怠った消極経営」として批判されることに。

1998年7月
 翌1999年のJ2リーグ発足の参加の条件である法人化を図るため奔走するも、大口スポンサーが見つからず、一人20万円の市民株主募集でこれをクリアした。
 株式会社サガン鳥栖(設立時の資本金3000万円)が設立。
 代表取締役は中村安昭氏(途中まで佐賀県サッカー協会会長兼務、任意団体代表)。その後、古賀照子氏が半年の取締役後に代表取締役に就任。

1998~2001年
 サガン鳥栖設立時に中心であった当時の坂田道孝佐賀県サッカー協会理事長が病気入院された。そのため法人設立後も集団指導体制(運営会議)で運営が行われた。
※※※※※※※※↓横浜FCと同じ経緯※
 しかし、ある取締役が就任すると、クラブ組織から会社組織に変更すべきであるとして、
 (1)「クラブサガン会員」をチームを支えるメンバーから年間チケットの購入者へ変更した。(クラブ組織運営の廃止。)
  ※それまでは、クラブ組織による運営制度を掲げてきた。年間チケットを購入するとクラブサガン会員となることができた。

 (2)クラブ組織としての運営会議の下にボランティア委員会や専門委員会が設けられていたがこれも廃止された。この結果、サガン鳥栖では運営の主体が特定の取締役に集中する事態となった。

 これらの動きに対してサガン鳥栖後援会はファンクラブを立ち上げただけであった。当時、事の重大さを正確に把握した者がいなかったと思われる。
※※※※※※※※※※※※※※

 中村代表取締役は健康上の理由等で辞任を表明。後任を探したが決まらず、当時の監督を社長候補として取締役としたが、多くの株主やサポーターの反発で監督は取締役を辞任。その結果古賀照子氏が代表取締役に就任。古賀氏は臨時株主総会で経営のプロと紹介されて取締役に就任した人物であった。翌年の定時株主総会で代表取締役に就任。

2002年
 1年目の古賀体制は、監督解任を早々に発言、取締役全員の退任発表、借入金(引継負債)の期限到来による借用書の書換要求を拒絶、株主の帳簿閲覧請求を拒否した。批判的な職員を解雇、ボランティアを排除しその体制を強化した。

2003年
 2年目は定時総会で他の6人の取締役全員が退任。新規に2人(非常勤)を選任するに留まる。外国人を補強するも、来日が遅れたり、テストを実施せず契約した結果、1人を除いて実力を発揮することなく途中帰国となり無駄に運営資金が使われた。経営収支面では、鳥栖市に対しスタジアム使用料免除がかなったが、広告収入である常設看板等も減少し、ユニホームスポンサーも無いシーズンとなった。
 そのため、チーム存続の危機が叫ばれることとなる。これに対し古賀代表取締役は経営改革委員会を立ち上げる。その経営改革委員会から来季の運営を行う取締役選任のための臨時株主総会開催を要請されたが、古賀代表取締役はこれを拒否、逆に顧問として来季の計画を作成するように要請した。
 古賀体制に批判が高まり、時期代表取締役候補案が浮上。しかし次期代表取締役候補は、来季の計画を策定する時間やスポンサーと交渉する権限も与えらないままJリーグの諮問を受けることとなった。その結果、代表取締役候補は就任を辞退した。 

2004年
 3年目になると、ついに松本監督を迎え、そのチームはこれまでにない背丈に合った取り組みで序盤中位の成績を維持した。営業面では新規スポンサーも数社と契約。しかし経営状態は改善せずクラブ存続の危機となった。ついにJリーグ(鈴木Jチェアマン)はサガン鳥栖に対し100%減資と(株)Jリーグフォト傘下でのクラブ存続を提案。古賀代表取締役はこれに応じ書面で株主に減資を訴えたが、小数一部の市民派株主が拒否。
 10月、社長と出資会社を募る古賀社長に対し、湘南マリントレード井上良一社長が社長に立候補し、サガン鳥栖株主総会への提案を要請。この動きに対し、鈴木Jリーグチェアマンが井上氏が経営する会社の財務内容を問題視する発言をし、古賀社長が推す再建案を却下、鳥栖のJ2退会、除名を言及。これに対し古賀社長が反発発言、井上社長候補が鈴木チェアマンに質問状を出すなど事態はさらなる混迷の様相に。


   2004年10月現在



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